白菜の妖精



こんなに蒸し暑い日に、テラスで昼飯を頬張る人間ほど奇特なものはない。
行列を作るファストフード店にやっとこさ入れたと思ったら、今度は待ちぼうけを食らって早10分が経過。いよいよしびれを切らした俺は、びかびかの太陽が照り付ける真夏のテラスへと足を運んだ。
冷房の中で笑顔を振りまく客たちはたぶん、食べ物を食べにきているわけではないのだろう。
このくそ暑い晴天から逃れて、友人知人或いは仕事仲間と、言葉をかわすためにあの席にすわっているのだ。そうとも知らず、ただ自分の腹を満たすためにこの場をおとずれた俺は、たぶんきっとものすごく異質なのだろうと思う。現に、野菜を全て取り除いて肉だけが挟まったハンバーガーを抱えて、炎天下の中へ歩き始めた男の姿を、みなが目を丸くして見送っていた。
ああひとりだなぁ、なんて思う。ただの感嘆詞なのでとくに深い意味はない。

しばらくそんな具合にハンバーガーをかじっていたら、向かい側のゲームセンターから、ドカスカとものすごい爆音が聞こえてきた。
アーケードの格闘ゲームか何かかと思ったら、違った。単なる音ゲーだった。しかも、太鼓の達人とかそういうやつじゃなくて、カラフルなボタンをタイミングよく押していく、あれである。名前は知らない。
周りの人たちが遠巻きに眺めている。「スゲー」などといった称賛の言葉を背中ごしにあびる少女は、ロリイタファッション、とでも申せば良いのだろうか。
一人だけ中性のヨーロッパにタイムスリップしたような容姿をしていて、ともすれば別次元にまで浮きあがって見えた。
彼女もまたひとりなのだなぁ、と俺は思う。思うけれど、野菜ぬきのハンバーガーを持って炎天下へ向かった俺とは、あきらかに違った種類の「ひとり」なのであった。

店を出て、例のゲーセンの前を通る。今度はクレーンゲームに挑戦しているらしい。
あいかわらずとんだ才能の持ち主で、これまた中に入っている人形を片っ端からかっさらっていった。
店員に見つかったら追い出されるんじゃないだろうか。妙なところを心配しながら真横を通り過ぎようとしたそのとき。
「ねぇ。これさ」
彼女の目は未だガラスケースの中に注がれているから、まさか自分が話しかけられているとは思いもしなかった。俺は瞬きを数回繰り返して、その場に呆然と立ち尽くす。
「はい?」
「持ちきれないから、ちょっとだけ持ってて」
「はあ……」
首をかしげながら、大量のぬいぐるみで満たされた紙袋を四つほど受け取っておく。
少女は引き続き別のキャラクターのぬいぐるみを狙っていた。まるで未来の動きがすべてわかっているかのような、淀みのない手つき。
彼女はゲームそのものを楽しんでいるというよりは、それに全神経を注ぐ行為自体を楽しんでいるようだった。つまり、周りのことはまったく気にかけていなかった。凛とした横顔に、少々の憧れすら覚える。

沈黙が崩れ去った時間は、俺が思っていたよりも比較的早く訪れた。
「よぉぉし! ゲットしたぜぃ!」
どうやらお目当ての商品が手に入ったらしい。ひゅう、と額の汗を拭って口笛を吹いた彼女は、「あ、どうもどうもね」などと言いながら、俺の手の中の紙袋を次々に回収していった。俺は目を見開く。
「え」
「え?」
「いや。……そんなにたくさん、持ち切れるのか?」
「べっっつにこれくらいたいした量じゃないわよ」
だって、単なるフェルトと綿の塊でしょう? などと、味もそっけもない口調と共に顔をのぞきこまれる。ラベンダー色の瞳が透き通っていて、どことなく心臓によろしくない。

それよりなにより、あんなになりふりかまわず入手した景品を、「単なるフェルトと綿の塊」と称する、彼女の言語的センスの方が妙に引っかかった。
俺は思わず眉間に皺を寄せる。
「……あんたも、か?」
「――その聞き方」
ふふ、と笑う声はどことなく甘い。……まるで野菜の芯のように。
「まとちゃんの言った通り。わたしは白菜の妖精、冬野さいよ」
白菜か……白菜にはあまりいい思い出がない。葉の部分はまだいいとして、問題は圧倒的大部分を占める芯の部分だ。あの野菜特有の微妙な甘さがどうにも苦手だ。
「甘い野菜は苦手?」
「よくわかったな。その通りだ」
「でも、苦いのも酸っぱいのも苦手なんでしょう。そしてそれが、どんなに身勝手なことかって自分でわかってる。そのうえで、やっぱり苦手なものは苦手なんだから、しょうがないじゃないか、ってところまで、折り合いをつけることに成功したのよね」
「いつごろのことだったか」
「遠い昔の話なんじゃないかしら」
彼女の白い横顔を眺めてから、俺はゆっくりと目を閉じた。
風にゆられて大きな紙袋が、かさかさと耳ざわりな音を立てる。その中いっぱいに詰められた綿のかたまりは、今この瞬間、彼女の手元にわたるべくしてわたったものだ。
そこには感傷的なものは何もない。あるのは必然だけだ。彼女はそれをはじめから知っていた。だからこそ、彼女はあれほどまでに無心でいられたのだ。

どうして今まで気づかなかったのだろう。
だって、おかしいじゃないか、こんなの。俺たちの住む本当の世界には、街の中心にトウモロコシなんて生えてなかった。ありとあらゆる資源が弾けた実の中から生まれることも、野菜がすべての中心だってことも、ぜんぶ、ぜんぶ。
喘ぐように、夢の目覚めを吐き出すと、しらじらとした目でこちらを見つめていた冬野さいが、唐突ににんまりと笑った。くしゃりと目元を細くして、かすれた聲を落とす。
「……ばれちゃった」
そのやけに寂しげな顔を、俺はどこかでみたことがある気がした。ここに似たどこか別の場所で、そうだ、何度も、……何度も。

きゅうに、足元がぐらりと傾いだ。
傾いでゆく世界の中で、白菜の妖精がやわらかな手のひらを差し伸べる。
「王子くん、お願いよ。わたしと友達になってほしいの」

廻る世界は白々とまぶしく、そして温かく凪いで輝いていた。


>>第四話


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