れんこんの妖精



信じられないかもしれないけれど、この星の神様は巨大なトウモロコシの形をしていた。
あらゆるビルの中心に、あたかも大樹のようにそびえ立つトウモロコシは、風が吹くとその雄大な白いひげをさやさやとしならせて、大きく左右に揺れるのだ。
黄色い実の中からは作物がとれ、絞った汁は飲み水にもなる。
そう、文字どおりこの世界は、ありとあらゆる事象が野菜を中心にできていた。
だからこそ、言えるはずがなかった。自分だけが幼い頃から、どうしても野菜が苦手だなんてそんなこと。
言えるはずが、なかったのだ。


突然の轟音に、背後を振り返る。
子どもたちの遊び場として開放されている裏庭に、ジグザグと波打つ亀裂が走っていた。
なんだあれ。一体どういうことだ。
唯ならぬ事態にひやりとしたものの、自分の職柄を振り返れば、いの一番に助けにいくことくらいしか選択肢が残されていない。
俺は身を翻して駆け出した。しかし、その足がふとしたところでぴたりと止まる。

亀裂を囲むようにして怯える子供たちの中で、それと同じくらいかそれ以上に涙目になっている少女を発見したからだ。
「ひえっ! ご、ごめんねみんな! あ、あばばばどうしようどうしたらい……そ、そうだーッ!」
ぱあっと顔を明るくした少女は、すっくとその場に立ち上がると、何を思ったのか突然意味不明な一発ギャグを披露した。
「れんこんせいじーん」
間の抜けた声で宣言するなり、彼女は真白いアルビノみたいな手足を、宇宙人のようにうようよ動かしはじめる。そこまではまぁ百歩譲って許すとして、問題は何故そこで白目を剥いたのかだ。
「……ひっ!」
これには子供たちはもれなくドン引きしていた。はっきり言って、ぜんぜんうけていない。というかむしろ、物理的なホラーの上に精神的なホラーを上塗りしたようなものである。

言いようのない気まずさがあたりを満たした。ここはこの学童の職員である自分がなんとかせねば。
少しでも子供たちを安心させるため、自分にできる精いっぱいの笑顔を作りあげると、俺はがっちりと子どもたちの背後をとらえた。
「おい。お前ら大丈夫か」
瞬間、子供たちは何が起こったのかわからなかったのだろう。顔面を強張らせてフリーズした。そしてその直後。
「うわぁぁぁ鬼先生だああぁぁぁぁ!!!」
世も末といった形相で号泣しながら、一目散に舎内へ駈け込んでしまう。
いかん。今この瞬間まで、自分がいかにおそろしい強面であるかということをまるっきり失念していた。

「……」
そういうわけでこの場には、俺と例のれんこん星人の二人だけが残された。
ふと、がっくりと落ちた小さな肩に目がとまる。そのあまりに無防備な背中になら、ひとつくらい、声を挟めるような気がしたのだ。
「おい……」
「あ、あの!!」
「ん?」
思った矢先、さっそく先を越されてしまった。
「あ、あたしあの、怪しい者じゃなくって! ただあの、皆があんまりにも可愛いから、つい力が入っちゃって」
真白い少女は、ぐるぐると目を回しながら汗と鼻水と涙を同時に流している。
「ご、ごめんなすって!!」
……やはり、あの地面の亀裂は彼女の仕業で間違いなかったらしい。
でもまぁ、こんなに必死に謝るということは、きっと内心悪気はなかったんだろうな。
「まぁ、校庭がへこむことなんて、地震とかあったら普通にあり得るかもしれんし、大丈夫なんじゃないか」
「へ」
一瞬、ぽかんと固まった少女の瞳が、次いでまじまじとこちらの皮膚の表面を凝視して、最後ににへらーっと無邪気に笑った。
「お兄さん、見た目と違ってすごく心の広い、いい人なんだねぇ」
「……そうか?」
記憶違いでなければ、たぶん他人に誉められたのは三年ぶりのことだ。実に照れ臭い。

首のあたりをもじもじと触っていると、少女は両手をそろえて深々と頭をさげた。
「はじめまして。あたし、蓮音こんっていうんだ!」
顔を上げた後は、自信をたっぷり含んだ(平らな)胸を、えへんと大きくそらして偉ぶる。
「このあたりの地域のみんなに、野菜のよさをわかってもらうために派遣された、れんこんの妖精アイドルなのです!」
よくわからないが、いま流行りのご当地アイドルか何かだろうか。それとも見た目からして人非ざる妖精なのだろうか。どっちだ。
それにしても、れんこん、と聞いた瞬間、頬の筋肉がひきつる。れんこんか……れんこんにはあまりいい思い出がない。煮物とかいう野菜がわんさか入っている料理に必ずつきまとっている姿がじみに心に残る。土臭いようなどろくさいようなにおいがするし、あの独特の歯ごたえもなんだか邪魔くさい。
「しかし、なんで突然地面を割ったりしたんだ」
「あたしね、いけめんさんになりたいの!」
……ん?
「いつか皆がウンウンってうなずいてくれるくらい、絶対的ないけめんさんになりたいんだ!」
……うん?
「あのね、いけめんさんはすごいんだよ。きっとね、合コンとかでね、おしぼりをみんなにとってくれたりね、フォークを配ってくれたりするの!」
「……」
「だからね、あたしね、毎日筋トレがんばってるのー!」
諸手を上げて叫ぶなり、蓮音こんはその場で大きく伸び上がった。

今さっき彼女が言っていたイケメンさんの定義と、筋トレの必要性がまったく結び付かないが、しかしながらどうやら彼女は毎日トレーニングを頑張った結果、力が加減できなくなって、気持ちが昂ぶるとつい、先ほどのような事件を引き起こすことになるらしい。面倒だな。
「でも、筋トレするだけじゃだめなんじゃないか。プロテインとかセットで飲まないと。今時のプロテインは美味いらしいぞ。イチゴ味とか出てるし」
すると、蓮音こんは一瞬ふいを突かれたように目を真ん丸に見開いた。しかし、すぐにぷくっとハムスターのように頬を膨らませて、
「そんな人工的に作った筋肉なんて、イケメンの筋肉じゃない!」
とか宣う。どーしろっていうんだ。
そのあとは野菜の妖精らしく、人工的に作られたビタミン剤よりもやさいに含まれているビタミンのほうがうんたらかんたら……などとやたらと熱心に語っていたが、頬を膨らませたまま喋っているのでよく聞き取れなかった。

俺はそんな彼女の様子をしばらくの間ぼーっと眺めていたが、ややあって思い出したようにポツリと、言葉を返す。
「でも、なんとなくあんたの気持ち、わかる気がする」
「え?」
「俺も、あまり子供たちになつかれないほうだこら」
普通に理由を述べようとしただけなのに、大事なところで噛んでしまい、喧嘩を売るヤクザみたいになってしまった
またやってしまった、と内心しょげながら彼女の方をチラ見すると、なぜか感動の涙を流しながらコクコク頷かれる。
「わかる! わかるよ! あたしも子供たちのことが大好きなのに、いっつもから回って怖がられてばっかりなんだ!」
まさかここまで共感してくれるとは。意外すぎて少々ドン引きだが、ここまで盛大に泣かれた以上、こちらには慰めてやる義務というものがある。
「お、おい……なんだか知らんが悪かった。これやるから、もう泣くな」
そう言って駅の前で配られていたポケットティッシュを差し出す。こんな強面がうさぎさんのハンカチなんて持ってるわけない。

すると、蓮音こんは青い瞳をぱちくりと瞬いたあと、ぱああっとわかりやすく顔をほころばせた。
「……きめた!」
「ん?」
てっきり御礼か何かを言われると思っていたので、危うく手前の小石につんのめって転ぶところだった。
「……なにをだ?」
「お兄さん、名前を教えてよ!」
「王子 元春」
「へぇぇ、おうじくんかぁ!」
いけめんな名前だねぇ! と瞳をキラキラさせる。続いて、下の名前はあれだね、オリーブオイルをわひゃー! てかけるいけめんのやつだね! とも言われる。いや、それはもこみちだ全然違う。
しかし、昔からひとたび名前を口にすれば、顔とのギャップに笑われるか引かれるかのどちらかしかなかった。それを素直に誉められたのははじめてだ。これまたなんだかむずかゆい。

ひとり感傷的な気分にひたっていると、れんこんの妖精とやらは、突然まじめくさった顔つきになって告げる。
「では王子くん!」
「はい」
「今日から王子くんは、あたしのらいばるさんです!」
「……は?」
「わかったよ。王子くん、さっきは子供たちを安全な場所に逃がすために、あえて怖い顔して凄んでたんだよね!」
「いや、あれは地顔……」
「『べつに嫌われたっていい……子供たちが元気にすごせるなら、それで……』ってことだよね!」
「いやあの」
蓮音こん、ぐっときました! と拳を握って力説される。いやだから頼むから話を聞いてくれ。
「子供たちのことを真剣に思ってること、すごくすごくよくわかったぜ!」
ばちこーん☆彡と謎のSEと共にウィンクをされる。なんだろう、何かよくわからんがものすごい腹立つな。
そんな俺の内心の葛藤はいざ知らず、自称アイドルのれんこんはキラキラとした瞳でこちらを見上げていた。
「いけめんさんには、お互いに切磋琢磨するらいばるさんがいるものだと聞きます! だから王子くん、どうかわたしのらいばるさんになって、いっしょにがんばってはくれませんか!」
ここまで真剣にお願いされたら、無下に断るのも野暮だろう。
だいいち、彼女が一方的にライバル宣言をしているだけなのだから、こちらが余計な責任感とやらを背負う必要はない。
俺は俺なりに、今まで通り子供たちを支えるべく、毎日を慎ましく生きていればいいはずなのだ。……たぶん。
「まぁ、別にいいが」
「うわぁい!」
応えてやると、そうとう嬉しかったのだろう。小さな白い手が両手を握って、上下にぶんぶんと大きく振り回した。
「えへへ、うれしいなぁ!」
それだけで肩が外れそうなほど強く痛んだが、そんなことも些細なことだと思えるほどに、純粋に誠実に「良かったな」と、その時の俺はそう呟いたのだ。


>>第二話


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